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カンボジアの旅

  • 執筆者の写真: セカンドハンド・ユース副代表 片山大奨
    セカンドハンド・ユース副代表 片山大奨
  • 2020年12月1日
  • 読了時間: 5分

この度、セカンドハンドの事務局の方に同行させて頂くという形で、カンボジアに行か せて頂いた、香川大学 1 回生の片山大奨です。今回たまたまセカンドハンドという団体に 興味を持ち、カンボジアの旅に参加させて頂けるというご縁に恵まれたことにとても感謝 しています。さて、カンボジアの楽しかった思い出をお伝えしたい気持ちもあるのですが、 今回は自分と向き合ういい機会ということで、「ポル・ポト時代の影響」という視点でお話 をさせていただこうと思います。とりとめのない、拙い文章ですが、どうぞお付き合いく ださい。


私たちは、カンボジアに行く前に、少しだけカンボジアで起こった歴史や時代背景を勉 強して、日本を出国しました。1975年から1979年まで続いたポル・ポト政権。旅 の最終日に足を運んだ場所は、キリングフィールド、トゥールスレン収容所です。私は現 地の人と触れ合うにつれ、この時代がカンボジア社会に、今なお色濃く影響を与え続けて いると肌で感じました。例えば、孤児院でソーシャルワーカーとして働かれている女性と 出会いました。


この方はおそらく 20 代です。彼女とお話をしていると、教育をちゃんと受 け、しっかりとした考えを持たれているように感じました。一方、ある奥まった地域(過 去ポル・ポトの影響を受けた地域)にある学校に視察同行させてもらったとき、そこの校 長先生とお話させてもらいました。この方は 40 代後半~50 代前半の方と見受けられました。


話を伺うと、なんとなく言いたいことは分かるけれど、しっかりとした意見が伝わってこ ないという印象でした。さて、私が何を言いたいかというと、ある程度の年齢以下の大人 はしっかりとした意見を伝えるのが上手で、ある一定以上の年齢の大人はしっかりとした 意見を伝えるのが苦手である、ということです。


このように言うと、かなりの語弊がある かもしれませんし、ただの個人的な印象で、科学的根拠は全くありません。しかし、ポル・ ポトの影響を受けていたであろう、今 40、50 代以上の方たちよりも今の若い世代の方たち の方がはるかに言いたいことを言える環境で育ったことは間違いありません。ポル・ポト 政権は、学者や医者、教師などの知識人、さらには、外国語を話せるから、目の色が青い からなどの理由でも多くのカンボジア人を虐殺し、排除しました。


一説では、この数年の 間に、200~300 万人の方が命を落としたと聞きます。この時代を行き抜けた方たちは、ポ ル・ポト側の考えを持った人か、海外に亡命した方か、自身の考えや主張を持たない方か、 それらをひたすら隠しながら、ひっそりと生活することが可能だった方であり、そのような人たちしか生き残る術がなかったのです。


自分の思想や意見を言える時代ではなかったのです。自分と同じような顔を持ち、自分と同じような肌の色をしており、自分と同じ言語を話している。そのような人達が殺し合わなければならなかった時代。生まれる場所や 時代が違えば、そのような狂気を経験していたかもしれないという事実を考えると、ほんとにぞっとします。


キリングフィールドとトゥールスレンではこの時代に起こった惨劇のほんの一部を知ることができました。私は事実の一端にしかまだ触れていませんが、言葉 を失うにはそれだけで十分でした。カンボジアの悲劇は、クメール人自身の手で、優秀な 人材や今まで築き上げてきた伝統や文化、モラルまでをも、ずたずたに破壊してしまった ところにあります。

今回の旅を通して、今もなお破壊された心の傷を抱えながら、徐々に発展しようとして いる、それがカンボジアという国なのではないかと感じました。


カンボジアを知る現地の 多くの日本人から、支援をしても本当に必要とされているところにうまく届かないという 話を聞きました。また、支援をしても、支援慣れしている為か支援をされるのが当たり前 という体質なってしまっているとも伺いました。社会的に賄賂が横行しているということ も大きな問題でしょう。


ただ支援をすれば済む話でもないと思います。支援を続けていく にも、それなりの信頼できる人材とお金と時間が必要です。いつまで続けるのかも重要な ポイントでしょう。答えを出すのは簡単です。今すぐ支援をやめればいいのですから。そ れもひとつの答えでしょう。


しかしながら、戦後、各都市が空襲や原爆で被害を受け多く の方々が亡くなられたとはいえ、首都東京を含め各都市に優秀な人材や国を何とか動かそ うとする人材が数多く生き残っていて、とてつもない発展を遂げた日本の状況と、首都の 機能や多くの優秀な人材や気概あふれる考え方をすらも失ってしまったカンボジアの状況 は、どこか異なっているように思えてなりません。


カンボジアは、国を変えようとする一 歩を出鼻からくじかれ、国を何とかしたいという熱い思いすら、一度焼き払われた歴史的 背景を持つ国なのです。そんな中、私は多くのクメール人に出会うことができました。彼 らはほんとに優しかった。少なくとも私が触れ合った人たちはみんな。なぜあんな大虐殺 が起きてしまったのだろうか。人間だから「間が差した」ということもあるでしょう。人間だからこそ、そのようなことを起こしてしまったともいえるかもしれません。


しかし、私が実際に目にしたもの、それは、今着実に芽吹きつつある、若くて優秀な芽でした。きっと彼らが、自分の夢を叶えようと努力し、この国をいい方向に導いてくれるのだろう。そう思うと、ユースの今まで行ってきた奨学金支援も、国を変えるきっかけを与えるひと つの支援のあり方なのかもしれないと感じた旅でした。


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